『ローレライ』


前回の続きになりますが、押さえきれずに・・・というところではあるが、これをテレビ局主導の映画でやれたのは奇蹟だと、興行の実際を学んだ今はつくづく思う。


ひたすら登場人物を追い、エモーショナルな要素の描出に徹した本作は、だから戦争映画ではなく、「ばらばらな個人が一致団結した瞬間に生まれる奇蹟」を描いた映画になった。


それは東宝、フジテレビ、作り手たちがそれぞれの色を主張しながら、結局は誰の色にも染まらず、全員で作り上げたと自負できる作品になったこととも無縁ではあるまい。


今は無理でも、十年後にはそんな記憶を喚起してくれるだろう「映画」として、『ローレライ』のDVDは棚の一画に収まっています。


『ローレライ』


必然、一見ストーリーには関わりのない登場人物の過去、人生観が大きな意味を持ち、映画化の際にも欠くことのできないパーツとして描写を要求してきます。


今だからそう分析できるのだが、当時はわたしも樋口もそれを明文化する術がなく、『ローレライ』は『イージス』以上の大長編、映画化困難な原作として完成する羽目になった。


それでも乗りかかった船と試行錯誤をくり返し、結果的にたどり着いたのが「状況を後退させ、ドラマを前面に立てる」方法。


終戦期の日本という状況、そこから紡がれるストーリーは薬味程度に留め、もっぱら登場人物の意志と行動に寄り添うというものだった。


タイトルから「終戦の」が外された一事が、それを象徴しています。


そこからすべてが組み直され、劇中歌の変更を始め、映画化への道筋が明確になっていったのです。


それは戦争の引力に娯楽の要素が押し潰され、市場のニーズを無視した映画になるのを危惧したからでもあるが、あらためて観ると、状況を匂わせる生々しいセリフ(監督言うところの福井節)はかなり残っています。


『ローレライ』


当時の状況では自衛隊の協力が望めないなど、物理的な要因は多々あるものの、最大の問題はひとつ。


長大な原作の持ち味を損なうことなく、二時間強の尺に落とし込める目算が立たないという点だった。


エピソードを削ればいいという話ではない、構造的にほとんど切りようがない長さ。


押井守監督曰く、作劇は「ストーリーが進行している間はドラマが止まり、ドラマが進行している問はストーリーが停滞する」ものだが、拙著は登場人物の葛藤(ドラマ)が状況(ストーリi)と有機的に絡み合い、ドラマの進展がストーリーを動かす構造になっています。


状況によってドラマが生まれるのではなく、ドラマと状況との化学反応がストーリーを紡ぎ出すのだ。


『ローレライ』


作品の略筋や成り立ちについては、すでにさんざん書いてきたことなので割愛させていただく。


ここでは福井原作の特性を繕くとともに、『ローレライ』というプロジェクトを総括してみたく思う。


本作の企画の発端は、監督の樋口真嗣が拙著『亡国のイージス』を読んだことから始まる。


映画化したい、でもできそうにない。


そこで原作者を巻き込み、映画化可能なプロジェクトとして『終戦のローレライ』という新企画が立ち上がったのだが、では『イージス』をして映画化不可能と言わしめた要因はなんだったのか。

今日はドライバーについてなんですが、その前にちょっとたとえ話を。


アフリカのシマ馬が水を求めて沼地にやってきます。


用心深い彼らは、初めは周囲を気にしながらおそるおそる水を飲む。


しかし、そのうちに警戒が薄れてきて、集団の中に自分の警戒心を埋没させてしまう。


ところが、そこを狙っていたライオンなどが飛び出してきて、一頭がそれに気づき逃げ出すと、他の数百頭もそれに連れて夢中で逃走するのです。


合宿免許の先生によると、走行するドライバーも、このシマ馬と同じようなものだといえるそうです。


他の車の動きがいちばん気になってきます。


すると、道路や歩行者、さらには取締りの警官まで目に入らないことがあります。


そして、スピードメーターも頭の中から消えてしまうのです。


『ローレライ』


一年にわたる私的専有スペシャルも、残すところ三回。


この時期になれば拙著原作映画三本も順次ソフト化されているはず・・・という九ヵ月前の目論見を裏切らず、いよいよ発売となった本作『ローレライ』のDVD。


我が家の納品も無事に完了し、洋・邦画別にアイウエオ順に並べられている棚にきっちり収納されました。


DVD棚に『ローレライ』が収まる日が来るとは・・・なんて感慨に耽る予定でいたけど、あきませんわ、やっぱり。


初めて自分の本が店頭に並んだ時、映画のスクリーンに名前が出た時と同じで、商業的なことばかりが気になり、感慨もなにもあったもんじゃない。


どんなに好きなものでも、仕事にした途端に夢を託す対象ではなくなり、対処しなければならない現実になってしまうというところか。


虚しいわあ。

感情には力があります。


感情によって、力の程度は違います。


軽いものはさらっと過ぎていきますが、強いものには自分がなぎ倒されかねません。


強力な感情がおそってきたときは、その感情が、分そのもののように思えます。


恐怖が私になったり、自分が怒りになったり、愛そのものになったりします。


そういうときには、自分は感情そのものなのではなく、「私が感情を持っているんだ」ということを思い起こさ守てはいけません。


確かに感情は私たちの人生と、まわりの人たちを変える力を持っているかもしれませんが、私たちはその感情を変える力を持っているのです。

感情は何かを訴えています。つまりあなたの内なる声なのです。


その感情は、どこからきたのでしょうか。


それは、すでに起こったこと、ないし、これから起こることに対する反応なのかもしれません。


あるいは、あなた独特の思考パターン、考え方、もしくはあなたの言葉から必然的に生まれてくるものかもしれません。


その感情のもとになっているものが何なのかがわかれば、それがあなたに何を伝えようとしているのかもわかることでしょう。

「鬼神」とは、桃太郎の話に出てくるような鬼ではなく、山の精霊といった低級な霊的生物です。


陰陽道の式神や平安貴族を怯えさせたもののけ(物怪)なども、鬼神の一種ということができます。


役小角はその呪力によって、そうした鬼神を自在に操ったというのです。


鬼神に薪や水を運ばせたという話は安倍晴明の逸話を思い起こさせるが、小角はさらに鬼神たちに葛城山と金峯山の間に橋をかけるという大土木工事までやらせています。


さて話はかわりますが、世の中には色々な占いがありますが、占いはこちらだと言うところに行ってみたいものです。


どこかいい占いあったらどなたか教えてください♪

感情は複雑なものです。


感情を受け入れだしたら、どの感情が欲しいとか、どの感情が欲しくないなどとは言っていられません。


次々と起こる人生の出来事と同じで、あれはいい、これはいらないなどと選り好みはできません。


ローラーコースターに乗ってしまったら、止まるまで、上がったりがったりしていなくてはならないのと同じです。


感情には理由があります。


なぜそんな感情が湧いて出てきたのか。


その理由も大切です。


なぜなら、それがあなたの次の行動に影響するからです。


たとえば、誰かにひどい扱いを受け、怒ったとします。


これはあたりまえですね。


あなたの怒りは、それは無視できないことだとあなたが考えている証拠であり、またその怒りの気持ちがその事態を解決しようとする気力にもなるわけです。

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